
感応寺は、明治42年の開創以来、
地域住民の「供養と祈願の寺」として歩み続けてきました。
能代が誇る日本五大松原「風の松原」は、お寺からすぐそばの距離にあります。700万本もの黒松が広がる「風の松原」は市民の憩いの場として親しまれ、緑豊かで穏やかな環境に感応寺は位置しています。
これは1月に行う寒修行の様子です。
右手は下浜埠頭。夏には花火大会で賑わうこの場所も、
冬になると日本海からの厳しい風が吹きつけます。
寒修行は感応寺開創以来、続けてこられた冬の伝統行事。
歴代住職は、この厳しい寒さのなかで心身を鍛えてきました。
現住職もその姿にならって寒修行を続けています。
檀家さんの家々をまわり、年中安泰・無病息災を祈ると、
檀家さんは「寒修行が無事に勤められますように」と
住職のことを祈ってくれます。
住職と檀家がお互いに祈りあう姿から、
寒修行のありがたみを感じます。
寒修行に限らず、人は日々の祈りを重ねています。
それは、先祖への感謝であったり、
家族の健康のためであったりと様々です。
感応寺は、そういった「供養と祈願」を実践していくお寺です。
法華宗について
[宗名]
法華宗。これは、日蓮大聖人ご自身が、「法華宗の沙門日蓮」と、自ら名乗られたそのままの宗名です。
[宗祖]
日蓮大聖人(1222~1282)。宗祖とは、一宗を開いた祖師の意ですが、ここでは、単なる一宗派の開祖という意味ではなく、末法という人も心も共に荒廃した時代の人々を救うために、釈尊より遣わされた上行菩薩が、人間として生まれてこられた方、すなわち末法の人々を導く尊い指導者という意味です。
[本尊]
本尊とは、信心の対象として、もっとも尊いものの意です。私たちの本尊は、「本門八品(ほんもんはっぽん) 上行所伝(じょうぎょうしょでん) の 南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」です。この「南無妙法蓮華経」の功徳のありさまを、仏様や菩薩様の姿として、日蓮大聖人によって、わかりやすく示されたものが、十界(じっかい)の大曼荼羅(だいまんだら)であり、私たちはそれを仏壇の正面にお掛けしておがみます。
[経典]
法華宗は、法華経(妙法蓮華経)をよりどころの経典としています。日蓮大聖人は、このお経は、釈尊滅後(末法)の人々を救うための教えであり、このお経こそ釈尊の真意を説くお経であるとされました。
[お題目とは]
法華経の経題をさすところから出たことばですが、いまは、「本門八品(ほんもんはっぽん) 上行所伝(じょうぎょうしょでん) の 南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」をいいます。宗祖は、釈尊もあらゆる仏様もこのお題目の信心・修行によって、仏になられたとされています。すなわち、このお題目は成仏するための唯一の種子(しゅじ)であり、成仏するのに必要なすべての功徳を納めている教えなのです。ですから、宗祖はこれを「母乳」にたとえられ、赤子が母に抱かれて口に乳を含むとき、何も考えずとも自然に成長することにたとえられました。お題目は、決して、抽象的な真理とか法理とかいうものではなく、人間の心を育て向上させるための、生命力あふれる、慈悲そのものの教え、功徳のあつまりなのです
法華宗について
お寺でコミュニケショーン
感応寺では、仏様とみなさんが縁を結ぶことを願って様々なイベントを開いています。
檀家さんに限らず、誰もが参加できるお寺イベント。
子育て世代向けの「鬼子母神まつり」では、子供がお寺でのびのびと過ごせます。
お寺で音楽を聴く。ヨガをしてリラックスする。
日常では味わうことができない体験を楽しんでください。




感応寺の歴史
明治42年(1909)
初代・清浄院日延上人が感応寺の前身となる教会所を開きました。
大正 9年(1920)
日延上人は、大本山光長寺(沼津市)に新寺建立の志を申しあげたところ、廃寺になっていた小田原市・宝塔山感応寺の移転復興を命じられました。
そして山号を町名の南中町(当時)からとり、南中山感応寺と寺号公称しました。
大正13年(1924)
入仏慶讃大法要をおこない、当寺は能代市初めての法華宗寺院として誕生しました。
昭和31年(1956)
能代市第2次大火により、建立よりわずか30年にして本堂を焼失。
火の手が迫る間に、三宝尊、日蓮大聖人御尊像をはじめとする仏像や仏具を運び出し、その難を逃れました。その仏像・仏具は今もなお大切に護持されています。
昭和46年(1971)
大火による都市計画により感応寺は現在地に移転。
第2世正行院日旺上人 は、本堂を再建し、本堂落慶法要を修行。時は、日蓮大聖人ご生誕七〇〇年と重なり、境内は大きなよろこびに包まれました。
平成21年(2009)
この年に開創百周年を迎えました。
記念事業として、宗祖日蓮大聖人の御尊像を修復や共同納骨墓建立・駐車場整備等を行いました。
記念法要では、この百年間、感応寺の法燈を護り続けてきた歴代住職、檀信徒の先祖に報恩感謝をささげました。